死にたがりと雲雀1巻
山中ヒコ
講談社ARIA
人は一人では立てぬ時がある
公式サイトで一話試し読みが出来ます。
2012年の個人的BLナンバーワン作品『500年の営み』(紹介記事)の山中ヒコ先生の最新作ということで、注目せずにはいられませんでした(ちなみに、今作はBL要素は表立ってあるわけではない、普通の作品です)。
果たして、ああ何と優しく切なく胸に沁み入るお話か……!
SFでも時代劇でも、人の繊細な機微が生み出す感動は変わりません。
時は江戸時代。
主人公の雲雀は、長屋住まいの男言葉を話す少女。
幼くして母親を亡くし、父親は家にあまり帰り着かず酒に溺れるようになってしまっていた。
幼くして母親を亡くし、父親は家にあまり帰り着かず酒に溺れるようになってしまっていた。
世間では空き巣と殺しが横行する中、町外れの荒れ寺に居を構え寺子屋を開く謎の浪人が現れた。
雲雀と長屋の友人たちは、寺子屋に通い始め浪人と打ち解けていくのだが――
雲雀と長屋の友人たちは、寺子屋に通い始め浪人と打ち解けていくのだが――
とにかく、雲雀が可愛くて健気!
子供たちの間ではガキ大将的なポジションでありながら、一人で布団に包まって涙するような子。
傷心の父親を元気付ける為に、自ら積極的に炊事洗濯から針仕事など様々な仕事を覚えて少しでも手伝おうとする様子が堪りません。
寺子屋で「今度は親御さんに了解をとっておいで」と云われた時、他の子たちは元気に返事をする中で、一人俯いてしまうシーンの表情などにグッと来てしまいます。
子供たちの間ではガキ大将的なポジションでありながら、一人で布団に包まって涙するような子。
傷心の父親を元気付ける為に、自ら積極的に炊事洗濯から針仕事など様々な仕事を覚えて少しでも手伝おうとする様子が堪りません。
寺子屋で「今度は親御さんに了解をとっておいで」と云われた時、他の子たちは元気に返事をする中で、一人俯いてしまうシーンの表情などにグッと来てしまいます。
山中ヒコ先生は、言葉選びと表情による演出が実に巧みで、登場人物たちの慈しみや哀しみが、心の芯にじんわりと響いて来ます。
又、寺子屋で物を覚える時の様子も印象的。
小鉄が漢数字を読み書きできるように練習して「…オレ五が好きだなぁ かっこういいや…」と恍惚とするシーンや、上記の雲雀がいろはうたの中にはこの世の全ての言葉があると感動するシーンなど、大人の観点からはない感動がありありと描かれていて、ハッとさせれます。
そして、この作品の肝は、主軸となる浪人と雲雀が、それぞれ互いの寄る辺となって生きて行く所。
「人は一人では生きられない時がある」というその時、それ自体は不幸であることに間違いはありません。
しかし、そこで寄り添える人がいることの幸せ。
そして、その様態が何と胸を締め付け、熱くさせることか。
弱い者が世界の中で必死に立ち、歩む姿は感動を与えてくれます。
浪人が「死にたがり」と呼ばれる訳についてはまだ謎ですが、この後の物語できっと明らかになっていくことでしょう。
切なく優しい、素晴らしい物語です。
しかし、巻末漫画を見てこの作品が編集さんに一度、更に他誌でも断られていたと聞いて、思わず「そんな狭量な!」と叫びたくなりました。
「チョンマゲはダメ」なんて誰が決めたんですか。
『大奥』や『信長協奏曲』、『磯部磯兵衛物語』だってあるじゃないですか!
売れ線の作品だけで構成された雑誌なんてつまらないです。
色んな物があるのが良いじゃないですか。
そして、この作品が持つ普遍的な良さは届く人にはしっかり届く筈です。
平成生まれでも女子高生でも、時代劇にあまり親しみがない人も、試し読みから是非どうぞ。
今の所、今月の推したい作品筆頭です。
75点。
余談ですが、Google先生によれば「山中ヒコ」と入れると予想検索に「山中ヒコ 弱虫ペダル」と出て来て「!?」となりました。
どうやら、『弱虫ペダル』の同人誌もお描きになっているようで……是非とも読んでみたいです!