色々と思う所がありすぎて、2日分以上の長さになってしまいました。
今月の最注目作の一つです。
コンプレックス・エイジ1巻(Kindle版)
佐久間結衣
講談社モーニングKC
わたしは自分が好きな自分でいるために
コスプレをしてるんだから
1話をモアイで読めます。
この作品を読んで、「うああああああっ…………!!!!」と布団の上をのたうち回ったり、あるいは声にならない悲痛な慟哭を上げたりしない人は幸せです。
第63回ちばてつや賞に入賞した読み切り版が、ネット上に掲載されてから5ヶ月が経った時、突如話題となった作品。
PVは125万件に達し、その後すぐに連載化。
そして、この度単行本一巻目が発売となりました。
話題となった読切版も収録しておりますが、こちらでもまだ読めます。
読み切りでは34歳のゴスロリ好きな主人公。
連載では26歳のコスプレ好きの主人公を描いており、差異はありますが、本質的なことは変わっていません。
タイトルを読んで字の如く、「今行っている趣味を、何歳まで続けられるか?」という命題への複雑な感情。
それを、果てしなく生々しく描写して行く作品です。
今作は、たとえゴスロリやコスプレとは無縁であったとしても、20~30代の端境期にある、あるいは迫りつつある人全てに深々と刺さる鋭利な刃です。
10代の人にも、近い将来こういった問題に直面するかもしれないという想像を突き付けます。
帯に書かれたコピーが実に秀逸で。
好きなものを諦められない、すべての人へ――
楽しめ。
血を流しながら。
そう、そうなんですよ。
一定の年齢に達しながらもこの安息の地で楽しみ続けることを選択するならば、一方で流血を厭わない覚悟がいるんですよっ……!
中学生の頃は、大人になったらマンガやゲームからは離れてしまうのかな……
と、漠然と思っていたらこの有り様で、これは死ぬまで好きなのでしょうが。
それでも、それ以外の趣味に関しては自分自身、いつまで続けられるだろう……と想わないことはないですよね。
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主人公は、日々職場の人間関係に悶々とする、26歳派遣社員の片浦渚。
出勤時のダルさや、社員からいびられる派遣のストレス、さりとて転職先もない現状、定時までの時間が溶けて行くのを待つ姿などなどがリアルです。
そんな彼女を現実から解放してくれるのが、コスプレという趣味。
家族や職場の人には自分の趣味は秘密にしており、理解されない人には自分の世界を汚されたくないという信条。
世の中には私達のことをまるで
別の生き物みたいに見てくる人もいるのよ
と渚は言います。
全ての問題は、この「世間体」というものに根差しています。
この作品は、扱っているテーマも含めて実に日本人的な漫画であると思います。
恐らく、外国であったらこんな作品は描かれないでしょう。
欧米では、社会的責任さえしっかり果たしていれば、その人がプライベートで何をしようが自由。
私も好きにするから、あなたも好きにしなさい、という風潮があります。
しかし、日本人は極めて同調圧力の強い民族。
「普通」と違うことを忌み、恐れる集団です。
コスプレという「普通」から外れた人を迫害することは、マジョリティがより結束する安全な投石の手段。
いえ、コスプレだけではありません。
私は、大人がプリキュアやアイカツを好きでも全く問題はないと思いますが、一定数は「いい年して」という人もいます。
異性装者に対する「キモイ」という偏見も、近年は大分寛容になって来たとはいえまだまだ根強いです。
はっきり言って、誰かに迷惑を掛けているならまだしも、他人の趣味にとやかくいう方が間違っていると思います。
赤木しげるが今際の際に語った通り、世の中の人は本当はありもしない「普通」「常識」という幻想に囚われ、そこから外れないように縛られています。
それでも、普通と違うものに対しては、そうやって見て来る人がいるということも、また厳然たる事実。
私自身、小さい時から自分の趣味を隠すことなく堂々と明けっ広げにして来たので、そのことで誹りを受けたこともあります。
コスプレをして、距離を置かれたこともあります。
しかしながら、誰が何と言おうと自分が好きなものは好きだと言い続けたい。
迎合して、自分が心から愛する者を貶めてまで、マジョリティでいたくない。
そう思って、生きて来ました。
敢えて言いましょう、美少年も美少女もBLも百合もエロゲーもコスプレも大好きであると!
勿論、普段は多数派に合わせて、隠れて楽しむことを否定するものではありません。
不用意に傷つくことから遠ざかるのは、立派な処世術です。
本質的には何も問題はないので自分の趣味を貫けば良いのですが、それでも投げられた石を受けて血を流す覚悟は必要なのでしょう。
ただ、別の問題として、「趣味に没頭するが故に婚期を逃すことの罪」という命題も浮上します。
特に女性にはその辺が重くのしかかります。
「現実から目を背けるな」「そろそろ結婚を考えたらどうなの?」
うう、耳と心が痛い。
読切版の佐和子さんには将ちゃんがいたからまだ良いようなものの、完全な独身で34歳となっていたら、また話は違っていたことでしょう。
連載版の渚は26歳ということで、その辺の悩みはまだ切迫はしていないものの、意識はせざるを得ない状況。
そして、そういう人の恋愛というのは往々にしてすんなりと行く筈もないので、今作ではその辺に立ち入った時どう処理して行くかも見物です。
ケースバイケースですが、趣味に走ることを逃げだとばかりは言えません。
それは、最早趣味というレベルを超えて、その人の心のバランスを保つのに必要な行為になっていることもあります。
社会的に、家族を持ち人口を殖やすことはとても大切なことです。
しかし、それ以上に、今生きている人間がそのまま健やかに(あるいはギリギリの淵でかもしれませんが)生きられることはもっと大切なのではないか、と。
その上で、余裕があったらそういう選択肢を選べば良いのだと思います。
余裕があろうがなかろうが、相手を見付ける努力はすべきという意見も存在するでしょうし、その意見にも理はあります。
ただ、それ自体が生きる上での大きなストレスとなって生きる阻害となってしまうのは、本末転倒でしょう。
……何だか、必死の自己弁護っぽくてアレですけどっ。
「加齢と趣味」というメインテーマだけでも、実に語れることは多いです。
しかし、この『コンプレックスエイジ』は、「コスプレ漫画」として考えた時にも、様々に言及したい部分があります。
私自身、最近は頻繁にガッツリとはやっていませんが、去年も今年もTFTでとなコスに参加して、FF零式やサイコパスのコスプレをして来た程度の人間ですし、自分でセフィロスやカイ=キスクの服一式を作ったこともありますので、この作品に描かれている描写一つ一つに頷いたり、傷が疼いて突っ伏したりしてしまいます。
連載では26歳のコスプレ好きの主人公を描いており、差異はありますが、本質的なことは変わっていません。
タイトルを読んで字の如く、「今行っている趣味を、何歳まで続けられるか?」という命題への複雑な感情。
それを、果てしなく生々しく描写して行く作品です。
今作は、たとえゴスロリやコスプレとは無縁であったとしても、20~30代の端境期にある、あるいは迫りつつある人全てに深々と刺さる鋭利な刃です。
10代の人にも、近い将来こういった問題に直面するかもしれないという想像を突き付けます。
帯に書かれたコピーが実に秀逸で。
好きなものを諦められない、すべての人へ――
楽しめ。
血を流しながら。
そう、そうなんですよ。
一定の年齢に達しながらもこの安息の地で楽しみ続けることを選択するならば、一方で流血を厭わない覚悟がいるんですよっ……!
中学生の頃は、大人になったらマンガやゲームからは離れてしまうのかな……
と、漠然と思っていたらこの有り様で、これは死ぬまで好きなのでしょうが。
それでも、それ以外の趣味に関しては自分自身、いつまで続けられるだろう……と想わないことはないですよね。

主人公は、日々職場の人間関係に悶々とする、26歳派遣社員の片浦渚。
出勤時のダルさや、社員からいびられる派遣のストレス、さりとて転職先もない現状、定時までの時間が溶けて行くのを待つ姿などなどがリアルです。
そんな彼女を現実から解放してくれるのが、コスプレという趣味。
家族や職場の人には自分の趣味は秘密にしており、理解されない人には自分の世界を汚されたくないという信条。
世の中には私達のことをまるで
別の生き物みたいに見てくる人もいるのよ
と渚は言います。
全ての問題は、この「世間体」というものに根差しています。
この作品は、扱っているテーマも含めて実に日本人的な漫画であると思います。
恐らく、外国であったらこんな作品は描かれないでしょう。
欧米では、社会的責任さえしっかり果たしていれば、その人がプライベートで何をしようが自由。
私も好きにするから、あなたも好きにしなさい、という風潮があります。
しかし、日本人は極めて同調圧力の強い民族。
「普通」と違うことを忌み、恐れる集団です。
コスプレという「普通」から外れた人を迫害することは、マジョリティがより結束する安全な投石の手段。
いえ、コスプレだけではありません。
私は、大人がプリキュアやアイカツを好きでも全く問題はないと思いますが、一定数は「いい年して」という人もいます。
異性装者に対する「キモイ」という偏見も、近年は大分寛容になって来たとはいえまだまだ根強いです。
はっきり言って、誰かに迷惑を掛けているならまだしも、他人の趣味にとやかくいう方が間違っていると思います。
赤木しげるが今際の際に語った通り、世の中の人は本当はありもしない「普通」「常識」という幻想に囚われ、そこから外れないように縛られています。
それでも、普通と違うものに対しては、そうやって見て来る人がいるということも、また厳然たる事実。
私自身、小さい時から自分の趣味を隠すことなく堂々と明けっ広げにして来たので、そのことで誹りを受けたこともあります。
コスプレをして、距離を置かれたこともあります。
しかしながら、誰が何と言おうと自分が好きなものは好きだと言い続けたい。
迎合して、自分が心から愛する者を貶めてまで、マジョリティでいたくない。
そう思って、生きて来ました。
敢えて言いましょう、美少年も美少女もBLも百合もエロゲーもコスプレも大好きであると!
勿論、普段は多数派に合わせて、隠れて楽しむことを否定するものではありません。
不用意に傷つくことから遠ざかるのは、立派な処世術です。
本質的には何も問題はないので自分の趣味を貫けば良いのですが、それでも投げられた石を受けて血を流す覚悟は必要なのでしょう。
ただ、別の問題として、「趣味に没頭するが故に婚期を逃すことの罪」という命題も浮上します。
特に女性にはその辺が重くのしかかります。
「現実から目を背けるな」「そろそろ結婚を考えたらどうなの?」
うう、耳と心が痛い。
読切版の佐和子さんには将ちゃんがいたからまだ良いようなものの、完全な独身で34歳となっていたら、また話は違っていたことでしょう。
連載版の渚は26歳ということで、その辺の悩みはまだ切迫はしていないものの、意識はせざるを得ない状況。
そして、そういう人の恋愛というのは往々にしてすんなりと行く筈もないので、今作ではその辺に立ち入った時どう処理して行くかも見物です。
ケースバイケースですが、趣味に走ることを逃げだとばかりは言えません。
それは、最早趣味というレベルを超えて、その人の心のバランスを保つのに必要な行為になっていることもあります。
社会的に、家族を持ち人口を殖やすことはとても大切なことです。
しかし、それ以上に、今生きている人間がそのまま健やかに(あるいはギリギリの淵でかもしれませんが)生きられることはもっと大切なのではないか、と。
その上で、余裕があったらそういう選択肢を選べば良いのだと思います。
余裕があろうがなかろうが、相手を見付ける努力はすべきという意見も存在するでしょうし、その意見にも理はあります。
ただ、それ自体が生きる上での大きなストレスとなって生きる阻害となってしまうのは、本末転倒でしょう。
……何だか、必死の自己弁護っぽくてアレですけどっ。
「加齢と趣味」というメインテーマだけでも、実に語れることは多いです。
しかし、この『コンプレックスエイジ』は、「コスプレ漫画」として考えた時にも、様々に言及したい部分があります。
私自身、最近は頻繁にガッツリとはやっていませんが、去年も今年もTFTでとなコスに参加して、FF零式やサイコパスのコスプレをして来た程度の人間ですし、自分でセフィロスやカイ=キスクの服一式を作ったこともありますので、この作品に描かれている描写一つ一つに頷いたり、傷が疼いて突っ伏したりしてしまいます。

ヒロインの渚は、いわゆる「完コス」主義者。
イベント前日の放映で、今まで判らなかったコス予定のキャラの衣服の背面にある模様が判明。
すると、それを見た渚は突貫作業で、しかし書くのは嫌だ、と立体縫製で拵えます。
衣装からウィッグの手染め・カットまで自前で、目に見えない裏地にも拘る渚。
更に、彼女はポージング教室にまで通い、「ポージング悪魔(デーモン)」の異名まで持ちます。
そのコスプレへの強い拘りと、作品・キャラ愛から、他人のやっているいい加減なコスプレやポージングに対する目線が非常に厳しいです。
このシーンだけ見れば、とても嫌なヒロインなのですが、気持ちは解らないことはありません。
誰しも、自分の一番好きなキャラのコスプレをしている人が明らかに粗雑な作りだったり、原作のキャラと全く違う言動を取っていたりしたら、少なくとも良い気分にはならないでしょう。
その辺の地面に胡座をかいて、化粧直しをしている某ヒロインとか見たくない訳ですよ!(力説)
やはり、コスプレをするからには最低限そのキャラと作品への敬意を持った上での立ち振舞は必要ではないかと考えます。
とはいえ、友達に誘われてコスプレをやってから作品に入る、というパターンも近年は増えていますし、緩くコスプレを楽しんでいる人を捕まえてこの物言いは明らかに良くないのですけれどもね。
ところで、そもそも何故コスプレをするのか?
この点で、私は渚と完全に同じタイプです。
生活が苦しくても、描きおろしBOXと小冊子が付いただけの3万5千円のBDBOXも、愛のために即決で買う渚とのシンクロ率は400%。
即ち、コスプレをする時というのは、本当にそのキャラが好きで好きで堪らない時。
その作品やキャラクターへの溢れ出る愛情表現の一環として、コスプレをします。
たとえるなら、聖地巡礼をしてみることでキャラクターの気持ちをリアルに想像できるようになる如く、そのキャラになりきってみることで初めて理解できるものもあります。
渚は、小さくてカワイイ女の子が大好きです。
友人に薦められて観た、「萌え北斗の拳」こと「マジカルずきん☆ウルル」の主人公ウルルが、彼女の理想です。
他にも、公式とコラボして登場したダンガンロンパのコスプレでも、作中屈指の小さくてカワイイ不二咲千尋を演じていました。
ただ、渚は長身でスタイルがいいことが、逆に悩みとなっています。
むしろ、小さくて可愛い女の子に憧れるのは、その反動かもしれません。
完コスを目指していても、身長ばかりは縮めることができませんからね……。
作中で言われている通り、背を高くする分には多少ブーツの底を厚くするなどして対処できるんですけれど。

そんな渚は、ある日コスプレをしたがっている、ウルルにそっくりな小さくて可愛い女の子・栗原綾に出逢ってしまう――
自分が渇望して止まず、それでも得られないものを、先天的に持っている相手。
高校野球でたとえるなら、日々球速を上げようと毎日10時間の練習をこなして140キロまで上げたところで、野球未経験の同級生に155キロを出されたようなものです。
そんな相手に、暴言の謝罪の一環とはいえコスプレ衣装を渡してデビューさせ、そして一緒にウルルコスをして合わせをすることの恐ろしさ。
「隣の子の方がウルルっぽい」と言われた瞬間に、唯一のアイデンティティが崩壊する訳で。
恐々とする渚の気持ちはよく解ります。
そういった、コスプレイヤー特有の嫉妬や優越感、悦びや苛立ちといった微妙な感情を、細かく丁寧に描いてくれます。
そう、ポージングを極めようとすると、変な筋肉を使わねばならないんだ! 翌日筋肉痛になるんだ! コスプレは闘いなんだ!
そう、イベント前日には睡眠時間を確保して肌の状態を良くしておくべき……と解っていても、直前に修羅場って結局睡眠不足で会場に向かうんだ!
そう、特殊な髪型のウィッグを型くずれしないように会場に運ぶのは大変なんだ! 更衣室ではスプレー禁止だからね!
そう、CHACOTTのパウダーは保ちが良いんだ!
そう、スケブといったらマルマンだよね!
そう、スタジオ撮影は時間との闘い! 現状復帰大事!
などなど、無限に同意するポイントも溢れてきます。
巻末に「コスペディア」という、コスプレ用語辞典まで付いているのこの漫画。
ウィッグでの前髪の生え際や、カールの作り方なども細かく解説されます。
125万PVを獲得したのも、この絵による読み易さがあったことに他ならないでしょう。
表情の描き方なども良いですね。
物語展開自体も次巻が気になる引きとなっており、現在本誌での展開もかなり面白くなっておりますので、今後も注目です。
コスプレイヤーもそうでない人も、何か好きな物がある人も、かつて好きな物を諦めた人も。
この物語が他人事でなくなり、刺さる瞬間の感覚を味わってみては如何でしょうか。