
イノサン2巻
坂本眞一
いつの日か死刑のない世の中を作ると――――
君に誓う…!!!
既巻紹介 1巻80点
公式サイト
1話の試し読みも可能です。
18世紀パリ。
フランス革命前後の動乱の時代を舞台に、処刑人シャルル=アンリ・サンソンの運命を描いた物語。
待望の2巻です。
「美しすぎる~」という形容は濫用され、しばしば内実にそぐわない事例もまま見受けられます。
しかし、この作品を「美しすぎる漫画」と呼ぶ事に関しては何の躊躇も必要なく、反駁もないでしょう。
これを週刊連載しているという事自体が驚異的・奇跡的です。
フキダシの無いサイレント演出が多用されることで画が際立つ今作は、一コマ一コマが精緻な絵画のよう。
そのアーティスティックさを泰然と呈してきます。
コミックスのサイズで読むのは少々勿体無い気すらしますね。
そして、その芸術性を更に高める表紙と装丁が素敵です。
タチキリが一切ない事で小口まで純白になっています。
白を基調とした美麗なる表紙を飾る白薔薇の花言葉は、「尊敬」「純潔」。
それを染める鮮血の紅。
本を開く前から惚れ惚れしてしまいます。
冒頭の一話から凄絶過ぎる展開で幕を開ける第二巻。
その圧倒的なる経験を経て、シャルルは一つの志を立てる。

抗えない運命に翻弄されながら、それでも幼き時から受け続けた神父様の教えを受け、自らの中で高潔さを保とうとする悲劇の主人公。
余りに過酷で残酷で狂気的な状況であるからこそ、一際その思いは美しく輝いて見えます。
そんな折、世に生まれ落ちる二人のマリー。
方や、フランスでも最も有名な王妃であり後にシャルルによって処刑される運命を辿るマリア・アントニア・ヨーゼファ・ヨハンナ、後のマリー・アントワネットです。
フランス革命史における重要人物であり、今作でも大きな鍵を握るであろうこの人物が今後どのように描かれて行くのかは、大きく注目すべき所。
他方、もう一人はサンソン家の次女マリー・ジョセフ・サンソン。
幼くして、聞きかじった知識だけで様々な鳥獣を解剖して標本を作り、
マリーはなまかわをはいだり
ほねをくだいたり
人をつるしたりしたいんだもん
という天性の猟奇的な性行を持ったシャルルの妹。
処刑人としては申し分のない資質を持つ彼女もまた、今後のキーパーソンでしょう。
そして、新たな物語の胎動は、シャルルが教会で出会った浮浪の親子。
浮浪者としてはイケメン過ぎますが、それはさておき。
ここでは、当時のフランスの貧富の差が克明に描き出されます。
98%が2%の支配層に搾取される社会。
そこに襲いかかった大飢饉で、病気の治療などはおろか食べることもままならぬ者達。
『ブッダ』で描かれるカースト制度などを読んでもそうですが、現代日本の貧富の差など到底比べ用もないほど悲惨な状況です。
消費税が2,3%上がる程度のことを嘆ける事がどれだけ幸せなことか。
人は社会全体がどれだけ豊かになったとしても、その豊かな中での悩みや不平に文句を言い続けて行くことでしょう。
ともあれ、それでもそこにいるのは一人一人の物思う人間です。
どれだけ時が移ろい、場所が隔たれていたとしても、同じ人間の痛みや苦しみに対しては感じ入る所があります。
人間はどこまで行っても、本質的に人間に興味がある故に。
環境が凄絶であればある程に剥き出しにされる人間の本質に、大きな絶望と微かな希望が混在しています。
世俗の辛苦とは完全に隔離された、繁栄と富の象徴ヴェルサイユ宮殿。
坂本眞一先生がこの荘厳なる建築を描くからこそ現れる説得力があります。
『孤高の人』で、登山というテーマによって、世俗の柵から解き放たれた人間の一つの極点を描いた坂本先生。
そこで更に研鑽された画力で以って表される、豪奢なパリで運命に喘ぐ人間の苦悶。
改めて、坂本先生が描くのに実に相応しい題材だと痛感します。
一巻最後も二巻最後も、人が受け入れねばならない運命としてはあまりにも酷烈に過ぎます。
正義、血統・運命といった事の他にも、様々な命題が提示される『イノサン』。
過酷な運命に立ち向かい続けることを余儀なくされるシャルルの心は、いつまで初志を貫けるのか。
3000の骸の果てに至った時、シャルルは何を思うのか。
読んでいて気持ち良くなれる物ではないですが、しかしこの壮麗な画による迫真の文学的ドラマは傑出しております。
余りにも目が離せない、美しく残酷な物語。
お薦めです。
80点。